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小説「冴子 別編」

小説「冴子 別編」

小説「冴子」は
不幸の一途です
こんごもっともっと
冴子は
不幸になっていしまします。

著者としては
書くのがつらいですが
書いております。

でも
幸せな
バージョンも
書いてみました。

普通は
こちらの方だと思います。

「もうひとつの冴子の人生」を書いてみました。

一話完結
もちろんどんでん返しや華々しい描写はありません。
期待せずにお読み下さい。

書き出しは同じです。

あの事件までは全く同じように
時間は流れます。


冴子の曾おじいさんは
兵庫県の篠山の
大地主でした。

戦争に負け
農地解放で
普通の農家になった
冴子の
おじいさんは
よく働きました。

その息子の
冴子の父親は
次男坊だったので
ある大手の重電メーカーで
生涯働きました。

冴子は
昭和25年に
3兄弟の
真ん中に生まれました。

重電メーカーの
社宅で育った冴子は
普通の女の子でした。

成績は
中くらい
目立つようでもなく
目立たないようでもない
そんな小学生
中学生でした。

中学生の時
同じクラスの
男の子に
好きになりました。

席が隣で
何となく
不良ぽいところが
冴子の
気を引いたのかもしれません。

その男の子は
冴子を
ぞんざいに扱いました。

気があったのかもしれません

しかしそれは
冴子の思い過ぎだったんです。

当の男の子は
その当時はやっていた
スカートめくりを
したいと考え
隣の席の
冴子を
標的に考えていました。

誰でも良かったと言えば
良かったのですが
冴子を
狙ったのは
他にも理由があったのかもしれません。

お昼休みの終了する寸前
教室に
みんなが
帰ってきた時

冴子の後ろから近づき
後もう少しのところまで来た時
先生が
後ろの扉から入ってきたのです。

その男の子の手は止まり
不通に授業が始まりました。


うまくできなかったので
誰でも良いと考え
5時間目の終わりに
クラスで
一番
強い?女の子の
スカートを
めくってしまったのです。

その女の子は
烈火の如く起こり
友達とともに
男の子を
叩きのめし
先生のところに
連れて行ってしまいました。

冴子は
「つまらない男の子よね
あんなことをして
女の子に
叩きのめされるなんて
私って
見る目ないな」と
半分がっかりしました。

それ以来
男の子には
興味が
なくなってしまいました。 

そして
普通の
中学生活が終わり
近くの高校に行きました。

中学校の
友達が
一緒に進学したので
普通の学校生活の
延長です。


特にかわることなく
勉強していました。

冴子の時代は
大学は
狭き門だったので
周りの
友達に
影響されて
冴子は
勉強しました。

やればできると
両親におだてられ
私学はお金がないので
勉強して
国公立に行く様に
言われました。

4当5落とも呼ばれ
4時間寝たら合格して
5時間寝たら落ちると言われた時代です。

窓から見える
友達の家の電灯の明かりが
点いている間は
冴子は寝ませんでした。

社宅という特殊な空間で育った
冴子は
友達も
親が同じ会社の社員で
親同士が
ライバルなら
子供同士も
ライバルだったのです。

また試験毎の
成績が
発表される時代でしたので
冴子の
競争心を
沸きだたせたのかもしれません。

その甲斐あって
冴子は
大阪教育大学に
合格できることができました。

社宅内で
国立に行くことができたのは
3人だけで
両親は大変喜びました。

冴子も
将来は先生になりたいと考えていました。


大学の授業は
一変してしまいましたが
特にかわることなく
勉強していました。

電車で
通っていて
学校帰りには
梅田の本屋さんによったり
百貨店の中を
ぶらぶらしたりして
過ごしたこともあります。

クラブは
興味があるようなものがなかったので
特に入らず
女友達と
普通の大学生活を送りました。

父親の栄転で
京都から通うことになりましたが
とくに遠いとも思いませんでした。

教育実習にも
地元の
伊丹の
小学校に行きました。

前日
相当練習したつもりですが
生徒の前では
うまくできなかったと思いました。

短くて
力を発揮できずに
終わったところが
少し残念でした。


4年になって
就職の時期が来ました。

一般の
就職は
夏休み頃からで
解禁は夏休み明けです。

それに先立ち
公務員試験が行われました。

もちろん教員採用試験も
ありました。

教員希望ですが
事務職の
公務員試験も
受験しました。

教員試験は
ベビーブームが終わって
採用人数が
大幅減したことから
非常に
狭き門だったのです。

冴子は
国家公務員上級
中級
兵庫県の
公務員試験
教員採用試験と
受験の連続です。

この日のために
4年間勉強したつもりですが
教員採用試験だけは
不合格になって仕舞いました。

でも
冴子には
悔いはありません。

がんばった
結果を
でしたので
諦めもありません。

両親も
大変喜んでくれたし
冴子は
その笑顔を見ていて
幸せだと
思いました。

教育実習もうまくできなかったので
生徒のためにもこれが良いと
考えました。

国家公務員は
転勤で
どちらに行かなければわからないので
兵庫県に就職することにしました。

そして4月
入庁して
研修を終え
配属先は
篠山の
土木事務所になりました。

冴子の
おじいさんの
家の近くが
職場になって
これも何かの縁だと
思いました。

おじいさんは
既に他界していて
冴子の父親の兄
伯父さんが
今は住んでいました。

離れが
空いているので
そこに
住んで
通うことになりました。

事務のために
県庁まで
冴子は
よく行きました。

福知山線は
まだ電化されておらず
汽車が
通っていました。
宝塚の手前の
武田尾や生瀬辺りは
秋には
紅葉で綺麗でしたが
トンネルが来ると
慌てて
窓を閉める
そんな思い出もありました。

職場は
地方の出先機関で
職員も少なく
和やかなものでした。

もちろん
公務員として
厳しい一面も
ありましたが
冴子は
職場では
上司や先輩からも
信頼されていました。


1年勤めた頃
母親が
家にやってきて
見合いの話を持っていきました。

仕事にも慣れて
篠山で
お稽古事ににも通って
友達もできて
春夏秋冬の季節も味わって
楽しい時期でしたので
結婚なんて早いと
思っていたのですが
父親の
上司の
取引先の
関係で
見合いだけでもして欲しいと言うことでした。


簡単な気持ちで
承諾して
当日
実家から
着物に着替えて
ホテルに出かけました。

見合いをした相手は
地元の
地主の息子で
父親の関連会社で
営業をしている
登でした。

ホテルであった
冴子たちは
和やかでした。

登も
営業職で
弁も立ったし
冴子も
職場の先輩の
おじさんたちと
話するのも
なれていたので
ふたり話は
盛り上がりました。

意気投合して
映画を見に行き
次回会うことを約束して
分かれました。

次は
登の家で
会いました。

登の母親は
冴子の
行儀作法に
感心しました。

ふたりの両親は
お互いに気に入って
トントン拍子で
話は進みました。

結婚までの
1年間あまり
毎週のように
デートに出かけました。

ふたりは
本当に仲がよいと
誰もからも
うらやましがられました。

河本さんの
両親は
家を新しく
建ててくれました。

結婚式は
盛大で
ハワイの新婚旅行に行きました。

帰ってくると
実家に
挨拶に行きました。

登は
疲れたと言って
実家で寝てしまいました。

冴子も
新しい家に行っても
誰もいないので
一緒に泊まることになりました。

冴子は
結婚を機会に
役所を辞めていたので
専業主婦として
働くことになっていました。

家にいても
仕事がないので
登の母親が
庭に作っている
野菜の世話の
お手伝いをしました。

野菜作りは
難しかったけど
冴子には面白かったのです。

野菜作りは
新しい趣味となりました。

日曜日には
登と一緒に
野菜作りを
するのも
楽しみでした。

女の子が生まれて
育児が大変になると
登の両親は
手伝ってくれました。

冴子は
家には
殆どいないので
登の両親に
一緒に
住みたいと
言いました。

登の両親は
孫と一緒に暮らせるので
それは嬉しいことだと
その当時流行始めた
2世帯住宅に
建て替えることにしました。

なるべく早く建てたいので
工場で作って
トラックで持ってきて
置いて積み重ねるだけで作れる
セキスイハイムの
住宅にしました。

登の
父親は
行動が早いです。

一緒に住みたいと言った日から
3ヶ月後には
2世帯住宅が出来上がり
冴子と登そして子供ふたりは
引っ越して来ました。

中の階段で繋がっていて
下のリビングにいつでも行ける構造になっていました。

外からの階段もあって
独立性も高かったのですが
野菜畑が
その玄関から
一目で見えて
冴子は
ウキウキしていました。

冴子の両親も
よく呼ばれて
作った野菜の
料理を食べたり
広い庭で
バーべーキューをしたりして
楽しく過ごしました。

登の会社は
成長して
休日出勤も多くなりましたが
冴子は
登が
がんばって働けるよう
最大限の
助けをしました。


ある日のこと
庭で
冴子の両親も呼んで
バーべーキュー大会をしていた
春先
冴子の父親が
少し
お腹を押さえました。

それを気付いた
冴子は
病院に行くように
すすめました。・

父親は
自覚症状が
たいしたことがないので
行く必要はないと言ったのですが
登の両親の
知り合いの
お医者さんに
診てもらったらと言うことで
病院に行きました。

早期の
膵臓ガンで
手術は
すぐに行われました。

冴子は
心配で
病院に付き添いましたが
大事なくて
良かったと思います。


毎年
違った野菜や
新しい野菜を
作って
時間は流れます。

近くに
パン屋ができて
パンを買ってきて
ハンバーガーを作ったりしました。

そして
あの地震の時がやってきます。

冬ですので
朝の野良仕事は
ありません。

冴子は
早く起きて
下のキッチンで
料理を作っていました。

6時前に
登を起こすために
寝室に行った時
大きく突き上げる
揺れがありました。

冴子は
浮き上がり
登のベッドの上に
倒れました。

それから
三回大きな縦揺れ
そして
大きく横に揺れました。

揺れがおさまると
停電していて
何も見えませんでした。

登と冴子は
まず
子供部屋に行きました。

上の女の子は
びっくりしていましたが
とくにケガもありません。

小さな本棚が
倒れていただけでした。

下の男の子の部屋へ行くと
男の子は
寝ていて
「何があったの」と
言っていました。

階段を下りて
リビングを通り
両親の部屋に行くと
懐中電灯を持って
お布団の上に座っていました。

全員無事でした。

テレビや
冷蔵庫が
倒れたくらいで
とくに被害はありませんでした。

両親が持っている
貸し家が大丈夫かと
両親は
服を着替えて
見に行きました。

最初は
真っ暗で何もわかりませんでしたが
明るくなっても
2階の窓から見える
阪急伊丹駅が
見えません。

冴子の住んでいる地域でも
相当な家が
潰れたようで
冴子の家の
同じ敷地内の
古い土蔵が
潰れていました。

やっぱり
新し家は
地震に強い
強い家は
被害がないと
冴子は思いました。

近くの
潰れた家の
下敷きになっている人がいると聞いて
登は
倉庫から
道具を持って
助けに行きました。

下の息子も
付いていきました。

電気もガスも水道も止まって
不便になったけど
冴子の家には
古い井戸があって
水は濁っていましたが
トイレの流し水ぐらいには使えるので
近所の人は
バケツを持って
汲んで帰りました。

義理のお父さんの
持っている貸し家は
屋根の瓦が
落ちたところはありましたが
たいした被害がなかったので
一安心で
取引先の工務店に
屋根を頼みました。

冴子の
実家の両親の家は
古い社宅でしたが
鉄筋コンクリート建てで
頑丈でした。

冴子の周りには
近所の人を除いて
地震の被害を受けた人が
いなかったので
幸運でした。

(この話とは全く別の話ですが
勇治は
神戸の北野に住んでいて
近くに
パン屋をしていました。

殆ど被害はなく
ボランティアで
パンを配っていたそうです。)

週末には
近くの避難所で
ボランティアをしたり
息子は
野菜を持って
神戸に行ったりしました。


何もなく
時間は流れました。

野菜作りや
文化教室で
ガラス細工などをして
楽しみました。

ある日のこと
義理の両親と
登と
テレビを見ていると
大阪に
ペット診断をする
最新の病院ができたと
報道していました。

隠れた癌まで
探すそうで
冴子は
義理のお父さんや
お母さんに
受けてはどうかと
すすめました。

もう70近くなった
義理の父親は
最近
調子がよくないので
受けることになりました。

義理の母親が
「それでは
家族全員で
受けてみましょう」という
相談になりました。

冴子は
必要ないと思いましたが
登のことも心配なので
家族割りということで
全員で受けました。

検査結果が
速達で
冴子だけ早く
送られてきました。

冴子は
内蔵に
異常があるという所見です。

登は
心配して
父親の知り合いの
病院に
翌日
一緒について行ってくれました。

検査の結果
早期の膵臓癌で
父親と同じもので
家族は心配していましたが
冴子は
余裕で
手術を受けました。

問題なく
退院して
また
野菜作りに励みました。

そんな日々が続いて
冴子が六〇才になった時
義理の父親が
突然頭痛になり
脳障害となりました。

相当重体で
介護が必要になりました。

義理の母親は
腰痛のため
できませんでした。

それで
ヘルパーとともに
義理の父親の
介護が始まりました。

家での介護は
端の目から大変でしたが
冴子には
大きな負担はありませんでした。

ケアマネージャーと相談して
ヘルパーの力を借りて
問題なくやっていました。

とくに
そんな介護をしていると
義理の母親や
登に大変感謝され
その上
ふたりの子供も
手伝ってくれるので
義理の父親には悪いけど
こんなことになって
やり甲斐ができたと
思いました。


そんな中でも
野菜作りを
していて
野菜畑から
六甲に沈む夕日を眺めながら
家族って
幸せだと
思って
少し涙が出てしまいました。


この話は
ここで終わります。

たぶん
もっともっと
幸せに
一生を終えると思います。

大好きな
登と子供たちがいますし
孫も
きっとできて
良いおばあさんになったと思います。


読んで頂き大変ありがとうございました。

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