小社サイトにご訪問頂いた皆様へ
私はこのサイトを運営する杉原正治です。社内では社長と宅地建物取引主任者の職務をさせて頂いております。
小社は昭和33年前社長である杉原とくが園田の地で創業しました。
当時では珍しいお部屋にタイルの流しが設備された台所付きのアパートを建設致しました。
これは創業当時より入居者様に便利で清潔なアパートを提供することを社是した結果です。
時代が進むにつれてテレビアンテナ・水洗便所・お風呂・二重ロック・エアコン・シャワー・BSアンテナ・ケーブルテレビ・シャンプードレッサー・防犯カメラ・自動販売機・無料インターネット・宅配ボックス・ベランダ・バルコニー・ダウンライトと間接照明・ワイファイ付などの設備を付け足していきました。
ロフト付き賃貸については少しでもお部屋を広く快適に過ごしてもらうためにリノベーションしております。
ロフトとお部屋の上下分離で食寝分離がワンルームでも可能なことからはじめました。
しかしお部屋の上に取り付けるとお部屋の天井が低くなります。その欠点を克服するために第三世代のロフトに進化させました。
お部屋はいつも設備を更新してフローリング・クロス貼りで新装しています。また住みやすいように防音にも力を入れています。
もちろん安全は大切ですので防犯については創業当初より考えております。
この間の昭和62年により経営を合理化するため法人化して杉原土地有限会社ができました。
今後ともがんばりますのでよろしくご指導・ご鞭撻をお願い致します。
創業は昭和62年です。
商号又は名称 杉原土地有限会社
代表者氏名 杉原とく
主たる事務所 尼崎市瓦宮2-18-15
正式法人名 杉原土地有限会社
取締役 杉原正治
(弊社には、取締役がひとりしかいませんので上記の者が、代表です。)
宅地建物取引主任者 杉原正治(専任)当サイト責任者
所在地 〒661-0971
兵庫県尼崎市瓦宮2-18-15
お問い合わせ先 メール
電話06-6491-6339
フリーダイヤル:0120-621079
(大阪・兵庫から通じます。携帯電話も可能)
返信メールです
休日 年中無休
但し宅地建物取引主任者が不在の場合がありますのでご連絡下さい。)
園田駅前店 阪急園田駅下車南出口西に線路つたいに50m
園田駅前支店は、弊社物件のみを、賃貸しています。
賃貸に関する規約の概要
(入居時の主な条件)
- 自社のみを扱っていますので手数料は,不要です。
- 敷金は、家賃3ヶ月分です。
- 敷金は、下記の場合を除いて退去時全額お返しします。
- 家賃の滞納額・犬猫によるお部屋の傷み・故意による破損がある場合は、敷金返済額と相殺します。
- 犬猫の飼育は出来ません。
- 入居者・その家族・保証人が、暴力団関係者または酒乱の入居は固くお断りいたします。
- 連帯保証人が必要です。連帯保証人は近親者で定職のある方にお願いいたします。
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受領手付け金の保護
弊社は、宅地建物取引業法の規定により、監督官庁である兵庫県に1,000万円を供託しております。
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弊社使用の賃貸契約書
賃貸借契約書
アパートマンション契約書逐条解説 契約書(PDFファイル)
賃貸人(以下甲という)と賃借人(以下乙という)は、賃貸借物件(以下物件という)について物件の保全債権債務の明確化のためにここに本賃貸借契約書を、二通作成し各々押印しそれぞれ所持する。
第一条 乙は、入居にともない敷金として金OOO,OOO円を賃借と同時に乙は、甲に差し入れた。敷金は無利子とし本証をもって預かり証とする。
第二条 賃貸借料金として一ヶ月につき金OO,OOO円を毎月末にその翌月分を甲の指定する場所に持参し支払う。但し銀行振込の場合は振込料は乙の負担とする。共益費O,OOO円別納のこと。
第三条 賃貸借期間は、<<契約書.入居開始日>>より<<契約満了日>>までとしその期間の経過によって本契約は終わる。
第四条 乙が甲に物件を明け渡す場合は必ず一ヶ月前に予告し、甲が契約を解除する時には六ヶ月前に予告する。
第五条 乙が下記に該当した時は甲は乙に催告を要せずただちに本契約を解除することが出来る。
①賃貸借料金を一ヶ月以上滞納した時、または賃貸借保証金を賃貸借料金に乙が充当しょうとした時。
②第三者に物件を間貸し、転貨ししたり賃借の権利を譲渡贈与した時、または賃借保証金の返還予定分を担保に入れた時。
③物件に対して造作付加改造除去また有害な事をした時、また壁面等に粘着剤をはったり穴をあけたりした時。
④物件を第十三条に定められている目的以外に使用した時または営業の目的に使用した時
⑤物件を衛生的に保つことを怠りあるいは騒音・悪臭・振動・ほこり等を出して近隣に迷惑をかけた時。
⑥犬猫等動物を飼育した時、または、植物に水をやったり過剰に重量物を置いたりし、物件に有害な行為をなしたり、あるいは通路のさまたげをした時。
⑦家族以外のものを同居させた時あるいは乙、または乙の同居人が暴力団の構成員、またはその関係者と判明した時。
第六条 物件を乙より甲に明け渡す時第一条敷金の全額を、明け渡し後十四日以降に甲は返還する。但し賃貸借料金の滞納額・乙の故意または過失による物件の損害額等を甲は上記返還額から差し引いて返還する。乙は物件明け渡し時当該金品以外を請求しない。乙が明け渡す時は月中でも賃貸借料金の日割りの計算をしないこととする。
第七条 乙は物件を契約の始まった時点の状態で賃借しなければならない。乙の故意または過失によって相違する場合は乙の費用で復旧する。
第八条 公租公課・諸物価・近隣の同種賃貸借料金・地価等変動に呼応し第二条の賃貸借料金を甲は改訂することができる。
第九条 乙が直接物件を使ない時は甲乙が約したものに直接使用させることができる。直接使用者は乙と同一とみなし本契約書を適用する。
第十条 物件中で発生した盗難、破損による乙の損害を乙は甲に損害賠償の請求をしない。
第十一条 物件が天災地変水火災の災害等により使用不能になった場合は契約を甲は解除し賃貸借保証金を返還しない。
第十二条 乙は、入居期間中に、物件中の消耗品である電池・電球・水道のパッキン・ふすま・畳等の新調取り替えなどの補修を行ったときは、この費用は乙が負担する。但しこの規定は、乙が補修するときのもので甲は、入居中期間中および退去時に乙に補修を請求しない。
第十三条 物件の使用の目的 住居
第十四条 物件の所在地・名称
特約事項 家賃のお支払いは指定の銀行にお願いします。
甲(賃貸人)住所
氏名 電話
乙(賃借人)住所
氏名 電話
乙の連帯保証人
住所
氏名 電話
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プライバシーポリシー
- お客様から頂戴した大切な個人情報(住所・電話番号・メールアドレス等)を、お客様から請求のあった書類等の郵送以外の目的に流用しません。パソコンのウイルスによる不正な使用を防ぐため、メールアドレスを、パソコンのアドレス帳に記入致しません。
- お客様からの請求を完了した時個人情報はすべて削除致します。
- プライバシーの保護については宅地建物取引業法にも規定されています。弊社は、業法を遵守いたします。
- 弊社に過去にメールを送られたお客様といえども御希望されないお客様のメールアドレスに 無断でDMを送る迷惑行為は絶対にいたしません。
- 大切な個人情報を第三者に流すようなことは絶対いたしません。
- ただし入居後メール以外で、連絡が取れない場合は、利用することがあります。
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セキュリティ対策
弊社は、インターネット上で金銭の授受は、絶対に行いません。
また、入居者名簿・契約書等は、弊社のもっとも貴重な財産であると考えております。権限のない方々の照会には、決して応じません。
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社是
「お客様の満足度を最高にする事が、我が社の利益を最高にする」ことを信じております。
最高にするために 弊社は、「精一杯の挑戦をするからうまくいかなくても許してほしい」というベストエフォート型ではなく、「そんなにすごいことは出来ないけど確実にしっかりやります。」というギャランティー型を目指しております。
昭和34年 小社は現代表者杉原とくが、兵庫県尼崎市園田にアパート賃貸業として創業。
昭和40年頃 現サイト管理者の杉原正治が、アパート賃貸業に従事し始める。
昭和62年2月 「法人成り」して杉原土地有限会社となりました。
平成6年5月 アパート賃貸業のバブルがはじけて現在に至るまで構造的不況に陥ります。不況を乗り切り他のアパートとの差別化のためアパートの改装・ロフトへの改築をすすめます。
平成10年頃 無料インターネット設備
平成16年頃 アパートの外装を新装始める
平成17年頃 第2世代のロフトの改装・間接照明・ダウンライトを使った照明する
平成20年頃 第3世代のロフトの改装
平成21年頃 バルコニーの設置
平成22年頃 防音アパートに逐次改装
杉原土地有限会社の沿革
杉原正治
杉原土地有限会社は大阪梅田から電車と徒歩で
ゆっくり歩いて23分の一級河川藻川の河畔にアパートを持っています。
創業は昭和33年創業者は私の母杉原とくです。
私は母が36歳の時昭和27年に生まれました。
田植えも終わり畑のイチゴが最盛期になった6月の25日に生まれました。
私が生まれた村は当時日本のどこにでもあった農村というか
寒村というか 貧しい村でした。
私の家族はその村で農家を営んでいました。
特にその村で貧しいわけでもなく
もちろんお金持ちでもありませんでした。
父や母歳の離れた兄は朝は朝星夜は夜星でよく働いていました。
父や母兄は働き者ですが村の人たちのほとんどの人は、
そんな風に働いていましたから
特に私の家族だけが働き者というわけではありません。
わが家の家計は自給自足状態ですので食糧以外は質素倹約の極みです。
もっと簡単に言えば「その日暮らしです」
でもそのぎりぎりの生活が父の病気で大きな転機を迎えます。
私が5歳の時です。
父が病気になって農業に従事できる人間が少なくなると
農業では生計を立てられなくなりました。
父の世話もして家事もこなして家計を支えなければならない母は
事業を興すことをしました。
---創業期---
大阪から近く駅からも近いという立地もあって貸し家業にしました。
父が持っていた畑が園田の駅から徒歩で5分の
便利な所にあったのでそこに小さな貸し家を建てることにしたのです。
その畑は藻川の河畔にあって住むには環境もよかったのです。
母は経費節約のため家の近くにあった使われなくなった納屋を
移築することにしたのです。
大方のことは大工さんにしてもらったのですが
母は、屋根の瓦を洗ったり木を運んだりして手伝ったそうです。
駅から近かったのですぐに入居者にも恵まれ
我が家の貴重な現金収入になります。
初めて建てた長屋がうまくいったので
母はもう少し収入をあげるために
もうちょっと大きな貸家を建てることにしました。
初めて建てたのはいわゆる長屋というものです。
母は次に建てる貸家をどのようなものにするか迷っていました。
世情に合わせると同じ長屋でした。
でも昭和34年ごろはアパートというものが
新しく建っていたのです。
中廊下で両側に部屋があって押入があるものです。
台所とトイレは共同のものでした。
母は先進的なものが好きで
アパートを建てることにしました。
でもお部屋に台所を
取り付けることにしたのです。
入居者が少しでも便利になれば良いと考えたのです。
トイレについては
当時はくみ取り式で普通は
家の外に作ることが当たり前で
お部屋のそばに作ることなど全く考えられません。
トイレが部屋の近くにあったら夏目がしみてしまいます。
お風呂についてはバスユニットというような
防水性に優れたものがなかった時代ですので
建物の寿命がながくなるように
付けませんでした。
アパートから200mの所にお風呂屋さんがあったので
そこを使ってもらうことにしました。
母が建てることにしたアパートの
建設費は農協から借りることにしました。
借りる約束もでき建設が始まりました。
当時としては最新の設備が付いていました。
当時では大変珍しいガスやタイルの流し呼び出し電話などです。
ほとんど完成したので建設会社はお金を請求してきました。
母はお金を貸してもらえるはずの農協に行きました。
でも農協は金融情勢が変化したとか言って
お金を貸して下さらないのです。
そこで困ったのは母です。
もうすぐ完成なのに代金が支払えないのです。
大変困った母は尼崎市の玉江橋の国道筋にある銀行街に
新たに貸してくれる銀行を探しに東から順に訪れていきました。
昼も過ぎ3時頃になってもう銀行街の西端まで来たとき
やっと貸して下さる銀行に出会うことができました。
母はその時
うれしかったそうで何度も私に話してくれました。
アパートの家賃は相場の一畳1,000円で
4.5畳のお部屋は4,500円6畳のお部屋は
すこし値引いて5,500円にしました。
時は高度成長期田舎からたくさんの人が大阪に働きに来て
アパートは盛況でした。
すぐに借金を返して母は私の養育費や教育費を
得ることができたのです。
それから昭和35年にもうひと棟のアパートも建てました。
アパートの名前は「藻川荘」と言います。
アパートが建っている敷地の横に
藻川と呼ばれる川が流れていたのに由来しています。
藻川は国が管理している1級河川で
アパート付近では川幅が200m近くあります。
水に関係ある川の名前をアパートの名前に付けると
火事にあわないと言われて母が名付けました。
我が家の家計はこのふたつのアパートの収入で
当分の間は何とかなっていました。
こんなこともありました。
私が中学生になった昭和42年頃
隣の駅の塚口まで買い物に歩いて行って帰ってきたとき
私に「モータープールを始めようと思う」と言ったのです。
その頃はまだ駐車場のことをモータープールと呼ぶとは
知られていませんでしたので
私は「モータープールってどんなプール?水泳場でも作るの」と
聞いたくらいです。
母は最初にこの地で青空の貸し駐車場の経営を始めたのです。
---第2期---
しかし我が家には経費が多いので
昭和45年頃になると赤字になってしまします。
この赤字の原因は私が私学の大学に
行くことになったことも原因のひとつです。
そこでもっと建て増すことを計画しました。
母が54歳の時のことです。
母の計画はもっと貸し家を建てることにしたのです。
いろんな形態の貸し家を建てることにしました。
アパート・文化・ファミリーマンション・ワンルームマンション
の各種貸し家を
その作りも木造・鉄骨造・鉄筋コンクリート造各種計画していました。
種類・構造をかえることによってリスクを分散することを
考えたのでしょう。
そして事後小社にとっては都合の良いことになりました。
建築費はすべて銀行からの借り入れです。
こんどは銀行としっかりと約束していたし
時代もそう言う時代でしたので
資金には対して不安はありませんでした。
どうせ借り入れで作るので
母は子供の名義でも建設すると言うことで
共有名義で建てることにしました。
計画では3年を要することに
なっていました。
木造から建て始め鉄筋コンクリート造の建設が始まった頃
日本中を石油危機が襲いました。
昭和48年の頃でした。
資材が不足して生コンが
予定通り入ってこなくなりました。
そんな困難を乗り越えて建物が完成すると
入居者の方に無事入居して頂きました。
核家族化がすすんでいた時代も
追い風ですぐに借金を返済できました。
---第3期---
しかし
昭和54年頃になると
木造の共同トイレのアパートには
空き室が目立ちました。
当時小社の
アパートの近くには
同じような共同トイレのアパートがありました。
そのアパートはその時代の流れについて行けず
解体され現在も駐車場になっています。
しかし母はバストイレ付きに
全面改装するという計画を実行したのです。
テレビ番組の『ビフォアーアフター』のように
柱と梁だけ残して他はすべて
新しくしてお風呂とトイレ付にしてしまったのです。
こうしてアパートは蘇りました。
この様な状態でバブル期を迎えます。
バブル期小社は他の会社がやっていたような事は
全くしませんでした。
堅実に賃貸業の業務のみを
行っておりました。
大きな利益を得ることもありませんでしたが
バブルが終わった時に損失もありませんでした。
一般的なバブル期は1991年に終わります。
---第4期---
しかし小社の不景気は1994年から始まりました。
2回目の難関です。
これに対して小社では2度目のリノベーションを
行うことになります。
空いたお部屋から
順次ロフトを設置してしていったのです。
ロフト付賃貸の始まりです。
ワンルームは
どんなにお部屋が大きくても
ふた部屋ではありません。
住居の食寝分離即ち
寝るところと食べるところが一緒の生活は
いろんなトラブルを作ります。
積極的に分離するために
上下分離ーロフトとお部屋ーしたのです。
これは好評でした。
当の本人の母も驚いたほどです。
しかし数年経つと
ハシゴでは上りにくいと
言われる入居者が出ました。
ロフトを設けるようなお部屋は
小さなお部屋ですので
普通の階段を取り付けると
階段ばかりのお部屋になってしまいます。
省スペースで上りやすい階段を
作らねばなりません。
そこで考え出されたのが
互い違い階段です。
意匠登録もとりました。
階段に比べて半分のスペースで
上ることができる
ロフトへの階段としては
最適な階段でした。
ウェブに公開すると
日本中から注文の電話が殺到するほどです。
もちろん入居者にも好評でした。
---第5期---
初期に作ったロフトには
もうひとつの問題がありました。
初期に作ったロフトは
お部屋に上に作る物で
ひとつのお部屋を
上下に単純に分かつものでした。
何年か経つと
見学者の中には
天井が低いと言う人がでてきました。
そこで
お部屋の上にロフトを作らず
お部屋以外の場所
玄関や押入廊下などの上にロフトを作る方法に
かわりました。
小社では
このロフトを
「第三世代のロフト」と
読んでおります。
明るい高い広い上りやすいロフトの完成です。